獣たちの引越し - 完結編

しばらくの間、私は小さな観測実験を行っていた。

正規サーバー sky.0t0.jp を守るため、海外から流れ込むスキャンアクセスや攻撃アクセスを、別の場所へ誘導する仕組みを作ったのである。
その受け皿として用意したのが、別ホスト deep.0t0.jp。 いわば「深淵サーバー」であった。

その詳細については、下記の記事を参照願いたい。
「獣たちの引越し - 物理隔離とハニーポットによる静かなサーバー運用」

そこにはハニーポットを置き、インターネットの闇を彷徨う存在たちを静かに迎え入れる。
世界中のスキャナや攻撃ボットは、IPの海を漂いながら開いた扉を探している。
ログには彼らの足跡が次々と刻まれていった。

ポートスキャン。
脆弱性探索。
奇妙なUser-Agentによる記事のスクレイピング。

それらはまるで、暗闇の中を徘徊する獣の群れのようであった。

しかし一方で、正規サーバー sky.0t0.jp 側では、ある単純な条件を設けていた。
アクセスを国内IPに限定したのである。

するとどうなったか。

海外から流れ込んでいたスキャンや攻撃アクセスは、ほぼ完全に姿を消した。
ログには穏やかな通常アクセスだけが残った。

つまり、無差別にインターネットを徘徊している獣たちの多くは、日本国内ではなく、海外ネットワークのどこかからやって来ていたのである。

役目は果たされた。

獣たちはすでに引っ越し、観測も十分に行った。
それ以上、この装置を動かし続ける理由はない。

そこで私は、サブルーターと deepサーバー の電源を落とした。

静かになったログを眺めながら、ふと思う。

もちろん、日本国内にも不正アクセスを行う者は存在するだろう。
しかし少なくとも、無差別に世界中の扉を叩き続けるような振る舞いは、極めて少ないように見える。

それは技術の問題ではない。
回線速度でも、コンピューターの性能でもない。

もっと古いもの――
社会の中に長く積み重なってきた、倫理や文化の層なのかもしれない。

他人の家の門を勝手に叩かない。
鍵穴を覗かない。
許されていない場所には踏み込まない。

そんな当たり前の感覚が、まだわずかに残っている。

もしそれが日本人の持つ品格の名残だとするならば、それは案外、世界の中で貴重なものなのかもしれない。

そして今、深淵は静かに閉じられた。

獣たちの引越しは、これにて完結である。