雑記

この世界の歪み

2026年2月28日、イラン南部ミナブ。
エピック・フューリー作戦が始まったその日の午前中、シャジャレ・タイエベ女子小学校にトマホーク巡航ミサイルが直撃した。

7歳から12歳の女子児童を中心に、170人超が命を落とした。

米軍の暫定調査が明らかにしたのは、国防情報局(DIA)が持つ古い地図データに起因する誤爆だった。
そのデータは、すでに小学校になっていたその場所を、攻撃対象のイラン軍基地の一部として記録していた。

小学校はかつてイラン海軍基地の一部だったが、2015年以降は壁で区切られ、衛星画像でも校庭が確認されていた。それでも米軍の標的データベースは更新されていなかった。

「精密打撃」とはこういうことだ。

トランプ大統領は当初、「イランがやったと思う」と言い張った。
「彼らの兵器は非常に精度が低い」とも。
しかし、トマホークを保有しているのは今回の攻撃に関与した国の中で米国だけだ。

その後、ニューヨーク・タイムズの報道について記者に質問されると、トランプは「私はそれについてよく知らない」と答えた。

「知らない」。
175人の子どもたちが死んだ事実について。

同盟国は何を言ったか。
ほぼ何も言わなかった。

「法の支配」「人道」「ルールに基づく国際秩序」――そういった言葉を普段から口にする国々が、沈黙した。
あるいは調査中と言い続けた。

このシステムが何を優先しているかは、こういうときに如実に出る。

私はクリスチャンではない。
神が何者かも、正直よくわからない。

でも、子どもたちの棺が並ぶ映像を見て、そしてそれを前にしても平然と国益の計算を続ける国際社会の姿を見て、「このまま続いてほしい」とは到底思えない。

「新しい天と地」などという言葉は、普段の自分には似合わない。
でも今は、そう祈りたくなる気持ちが、少しわかる気がする。

アーメン、と。

トレードツール画面レイアウト

土日は相場が動かず、とにかく退屈だ・・・

仕方ないので、くだらない記事を書いてみる(笑)

トレードツールは当初から楽天証券のマーケットスピードⅡを使用しているが、画面レイアウトについては約一年かけて、自分のトレードスタイルに合わせた改良を重ねてきた。

モニターは2枚構成で、SUBが2012年購入のiiyama製23インチ、MAINが2024年に追加購入したPHILIPS製27インチである。

SUBモニターには、取引候補銘柄の3分足チャートを並べたザラ場監視画面を配置している。

SUBモニター

MAINモニターには、銘柄選定サブウインドウを中心に配置し、選択した銘柄に連動して以下の構成としている。

  • 左上:日足チャート
  • 左下:3分足チャート
  • 中央上:日経先物(CFD日経225)の3分足チャート
  • 右上:フル板発注サブウインドウ
  • 右下:建玉の評価額表示

さらに、フル板発注サブウインドウの右下隅には歩み値を小さく重ねて表示している。

MAINモニター

分足チャートについては、一般的には5分足を利用する人が多いようだが、自分はできるだけ早く利確したいため、3分足を標準としてトレンドを監視している。

状況によっては1分足の細かな値動きを拾うこともあり、場中は1分足を使う時間も多い。

トレードは「下がったら買い、上がったら売る」という単純な作業に見える。
しかし実際には、大口機関投資家が市場参加者から利益を得るために様々な仕掛けを行ってくるため、見た目ほど単純ではない。

そんなに簡単なら、誰も苦労しないよね(笑)

暇つぶしのつもりで始めたデイトレードだったが、ようやく安定して利益を積み重ねられるようになり、少しずつ仕事として成立しつつある気もする(笑)

さて、この先どうなっていくことやら・・・

市場よりも自分と戦う

2025年6月15日に定年リタイアして以来、相場が動く日にはデイトレードを続けている。

2025年1月に信用口座を開設し、非常勤で働きながら約半年、リタイア後に約一年、合わせて一年半が経過したことになる。

去年一年間は、大口機関(ヘッジファンド等)が巨額の資金を投じるAIアルゴリズムによる取引が台頭してきたこともあって、デイトレードの難易度が前年より格段に上がった印象がある。
過去の手法が通用せず、デイトレーダーは退場者続出な状況であった。
自分自身に関しても、前月に30万円利益を出しても翌月にすべて失うといったことを繰り返し、損益はほぼ±0の訓練期間となった。

まあ、初年度で無理をして500万円、1000万円を失い、市場から退場する人も少なくないことを考えれば、優秀な方かもしれない(笑)

なぜデイトレードなのか。

それは、自分の中に「株は泡だ」という認識があり、買ったらすぐ売りたくなってしまうからだ(笑)

今後も経済が順調に成長し、株価がどこまでも上がり続けるという見方もできない。
どうやら自分は投資家には向いていないらしい。

そもそも、中途半端に株を保有することに大きな心理的抵抗がある。

インデックス投資信託でさえ懐疑的なのだ。
もっとも、昨今の狂乱相場では、株を持たなかった機会損失も非常に大きいのだが(笑)

デイトレードであれば、元本(信用保証金)300万円を固定し、レバレッジを活用して回転させれば十分成り立つ。

うまくいけばリスクも比較的限定できる。

もっとも、自分の場合はリタイア後の生活資金は既に確保できているため、デイトレードは暇つぶしの要素も大きい。

退職前は暇をどうして埋めようかと悩んだこともあった。

政府が推進するNISA制度をきっかけに証券口座を開設したのが発端だが、先に述べた通りどうやら投資には向いていないらしい。

その結果が、今のデイトレード生活である(笑)

瞬時の状況判断や市場心理の読み合いは、脳トレとしても悪くない(笑)

現時点では、まだまだ訓練期間に違いない。

しかし、スキルは確実に向上しており、今年に入ってからはプラス損益を維持できている為、年金受給していないにもかかわらず、資産が減らない状況を維持している。
毎月の生活費が低く、12~13万程度であることも資産が減らない要因であるが、デイトレが軌道に乗り、且つ年金受給が始まれば資産は減るどころか増えていく計算だ。

そもそも、年金だけで生活可能な見込みの上、2000万円問題を大きくクリアする貯蓄や保険資産があり、資産を増やす必要もないので、デイトレで資産が減るようであれば止めればよいだけである。

今後安定して利益を積み重ねられるかどうかは、結局のところ「適切な損切り」ができるかにかかっている。

損切りは本能との戦い

損切りが難しい理由は単純だ。

人間の脳は利益を得る喜びよりも、損失を確定させる痛みを強く感じるようにできている。

そのため含み損を抱えると、「もう少し待てば戻るかもしれない」と考え、損失を確定する行為を先延ばしにしてしまう。

一方で、エントリー時には「乗り遅れたくない」という焦りが働く。

結果として、次のような失敗パターンに陥る。

焦って入る

含み損になる

損切りできない

損失拡大

これを克服するには、本能より先にルールを決めておくしかない。

「この価格まで下がったら切る」

それを感情を挟まず機械的に実行する。

また、損切りを失敗と考えるのではなく、「資金を守るための必要経費」と捉えることも重要だ。

市場で生き残るためには、利益を伸ばす技術以上に、損失を限定する技術が求められる。

市場よりも自分と戦う

相場の世界では、市場との戦いよりも、自分自身との戦いの方がはるかに難しい。

焦り、欲、恐怖――

それらは人間が生き残るために備わった本能だが、市場ではしばしば逆に働く。

利益を得る技術とは、市場を読む技術というよりも、自分自身を制御する技術なのかもしれない。

まだ道半ばではあるが、来週以降もまた、本能を乗り越える訓練を続けていこうと思う。

もっとも、市場よりも手強い相手は、自分自身なのだが(笑)

イラン情勢と終末論

中東情勢の緊迫化に伴い、ネット上のオルタナティブメディアや国際政治ブログで頻繁に結び付けて語られるのが、「イラン情勢」「聖書預言」「新世界秩序(NWO)」という3つのキーワードです。

これらがどのように関連付けられ、一つの終末論的シナリオとして語られているのか、その代表的な論点を簡潔に整理してみました。

近年の国際ニュース、特に米国・イスラエルとイランの間で繰り返される「衝突と停戦交渉」のサイクルは、単なる地政学的対立としてだけでなく、ある種の「終末論的プロット」として解釈されることがあります。

1. 聖書預言における「ペルシャ(イラン)」の役割

聖書、特に旧約聖書のエゼキエル書38~39章には、終末の時代に「ゴグ」と呼ばれる勢力が率いる諸国連合がイスラエルへ侵攻するという、「ゴグ・マゴグの戦い」の預言が記されています。

この預言に登場する「ペルシャ」が現代のイランに相当すると解釈されることから、中東地域における軍事的緊張やミサイル攻撃、要人暗殺などの出来事を「預言成就への前兆」とみなす言説が存在します。

特に欧米の一部の福音派キリスト教徒や終末論コミュニティでは、イランの動向は長年にわたり重要な観察対象とされてきました。

2. 「マッチポンプ」と新世界秩序(New World Order)

一方で、陰謀論や国際政治の裏側を扱う言説では、こうした対立そのものが演出されたものであると解釈される場合があります。

この見方では、世界的な緊張状態は偶発的なものではなく、より大きな政治的・経済的目的のために利用されていると考えられています。

代表的な主張としては、

  • 戦争の危機やテロの脅威を強調する
  • 原油価格や金融市場を大きく変動させる
  • 社会不安や先行きへの不確実性を高める

といった「危機の演出」が行われ、その後、

  • 国際的な和平合意
  • 地域安全保障体制の再編
  • より強力な国際協調の枠組み

が「解決策」として提示される、というシナリオが語られます。

そして、この「混乱(Chaos)から秩序(Order)へ」という流れこそが、新世界秩序(NWO)へ向かう段階的なプロセスであると解釈されるのです。

3. 聖書が警告する「偽りの平和」

終末論的な解釈において、特に重要視されるのが「平和」の到来です。

新約聖書のテサロニケ人への第一の手紙5章3節には、

「人々が『平和だ、安全だ』と言っているその時に、突如として破滅が彼らに襲いかかる」

という一節があります。

このため、仮に中東情勢が一時的な停戦や和平合意へ向かったとしても、それを額面通りには受け取らず、「より大きな変化の前触れ」として警戒する立場も存在します。

彼らの解釈では、表面的な安定の背後で新たな統制システムが構築されていく可能性があると考えられているのです。

4. なぜこうした言説が広まるのか

終末論や陰謀論が広く共有される背景には、国際政治や金融システムに対する不信感があります。

実際の世界情勢は、多数の国家や組織、企業、宗教勢力の利害が複雑に絡み合っており、単純な善悪や一つのシナリオだけで説明できるものではありません。

しかし、複雑で理解しづらい出来事が続くほど、人々はそれらを一つの大きな物語として理解しようとする傾向があります。

その結果として、聖書預言やNWOといった概念が、現在のニュースと結び付けて語られることになるのでしょう。

結論:距離を置いて観察するという選択

中東情勢が実際に聖書預言と関係しているかどうかについては、当然ながら客観的な検証は困難です。

しかし、世界各地で起きる出来事がどのような物語や解釈によって受け止められているのかを知ることは、現代社会を理解する上で興味深い視点でもあります。

戦争や金融市場の混乱、あるいは終末論的な予測に過度に振り回されるのではなく、一定の距離を保ちながら情報を観察する姿勢もまた重要ではないでしょうか。

現在の緊迫した中東情勢が聖書預言の文脈でどのように語られているかについては、以下の解説動画も参考になります。

終末に関する聖書の三つの預言が成就(オートダビング版)

もちろん、これらはあくまで一部の終末論コミュニティやオルタナティブメディアに見られる解釈であり、実際の国際情勢を説明する唯一の見方ではありません。
やはり、情報との距離感を保ちながら、多角的な視点で観察することが重要でしょう。

善意が沈黙に変わるとき

還暦を過ぎ、62歳を目前にした今、私はすでに仕事を離れ、完全にリタイアした生活を送っている。
収入はなく、これからはこれまで築いた資産と年金だけを頼りに生きていく段階に入った。

日々は静かだ。
だがその静けさは、安らぎというよりも、人との距離を強く意識させる種類のものでもある。

手元には、自ら積み上げてきた一定の資産と、数年後に始まる年金の見通しがある。
数字だけを見れば、生活は成り立つ。そう判断できる状態ではある。

しかし、心の内側には、それとは別の空白が残っている。


「1,500万円の援助」と、その結末

これまで私は、唯一の身内である弟家族に対し、1,500万円を超える金銭的な支援を行ってきた。
加えて、相続に関わる税負担についても、本来は負う必要のない部分を肩代わりしてきた。

なぜそこまでしたのか。
家族という関係に対する最後の信頼と、目の前の生活の破綻を見過ごせなかったという、それだけの理由だ。

しかし結果として、関係は修復されるどころか途切れた。
返ってきたのは、感謝や対話ではなく、「距離を置きたい」という意思だった。

その後、話し合いの機会も持てないまま、現在に至っている。

先日、これまでの経緯と負担額を整理し、今後についての意思確認を試みた。
だが、その問いかけに対する返答はなく、沈黙が続いている。


生活の実態と、感じている違和感

ここで一つ、整理しておきたい現実がある。

弟の生活は、少なくとも外から見える範囲では、極端に困窮しているようには見えない。
高額な商用車を所有し、家電も一通り揃い、趣味の時間も確保しているように見える。

一方で、家庭内には事情もある。
精神的な不調を抱えた次女と、その子どもを支える状況は、決して軽い負担ではないはずだ。

それでもなお、生活水準が大きく変わらないまま、そのしわ寄せがこちらに回ってくる構図には、違和感を覚えざるを得ない。

支える側と支えられる側の境界が曖昧なままでは、関係そのものが歪んでいく。
今回の一連の出来事は、そのことを強く示しているように思う。


沈黙が示すもの

この沈黙の中で実感したのは、人間関係における「信頼」は、必ずしも行為や時間の積み重ねによって維持されるものではない、という現実だった。

長く勤めた職場、組織との関係、そして家族。
それぞれにおいて築いてきたものが、ある時点であっけなく途切れることはある。

誠実に行動することと、その結果が報われることは一致しない。
その事実を、リタイア後のこの静かな時間の中で、改めて受け止めている。


残されたものと、これから

1,500万円という金額が戻る可能性は、現実的には低いだろう。
だが、その経験によって得たものもある。

人はそれぞれの事情と判断で動くということ。
そして自分自身は、その中でも生活基盤を崩さずにここまで来たということだ。

収入のない生活は、当然ながら余裕ばかりではない。
だからこそ、資産と支出のバランスを見ながら、静かに日々を積み重ねていくしかない。

現在の生活は、ほとんどを一人で過ごしている。
人との関わりは最小限だが、その分、外部に左右されない時間でもある。


今夜も、変わらない日常の中で食事をとる。
返事のない画面を気にすることは、もうやめた。

静かな生活の中で見えてきたのは、誰かに期待しすぎず、自分の範囲で完結して生きるという、ごく現実的なあり方だった。